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【第27回】藤津亮太 漫画試し読み放浪記




新作・旧作、注目作に話題作。いろいろ気になるあの作品を、ちょっとだけ試し読み。そんな調子でマンガの世界を放浪していきます。
【第27回】 週末のノスフェラトゥ

 エンターテインメントにはいろいろなテーマがあるが、そのうちのひとつに「人間の条件」というものがある。「どこまでが人間なのか」「なにをもって人間とするのか」。その一線を探るためにエンターテインメントは、極端な状況やキャラクターを設定して物語を構築する。

 本作の中心に置かれているのは、人間ではなくなった存在=不死者(ノスフェラトゥ)である。そもそもノスフェラトゥという言葉は、その初出を19世紀末にさかのぼることができるようだが、語源は曖昧で、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の中で不死者の意味合いで使われ、さらに映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)を経て広く知られるようになったという。
 本作におけるノスフェラトゥ=不死者は、念入りに焼き殺すか、じっくり飢え殺す以外では殺すことができない存在。彼らはバラバラに切り刻まれても死ぬことはない。そして、本作のなによりの特徴として、不死者に近づいた人間は凶暴化し、その血を吸おうとするという設定がある。そうして血を吸った人間の大半は死んでしまうが、10人に1人は不死者になって生き延びてしまうのだ。

 本作は、記憶喪失状態で目覚めたノスフェラトゥの女・ローラが主人公。ローラは、自分の正体を知ろうとしていく過程で、不死者による国家と教会の討伐隊との戦いに巻き込まれていく。そして第2巻では、「不死者の国」を統べる不死者の王・ニコラエと討伐隊を指揮する“東方の賢者”タム・アーキィが激突する。

 ここでおもしろいのは、ニコラエが“同胞”である不死者を切り刻んで武器にすることも厭わない、暴君と呼んでよい精神の持ち主あるということだ。彼の関心はもっぱら自分の強さとそれが及ぼす支配の範囲にある。そんなニコラエをそばで見ていた妻のイレーン(彼女も不死者である)は「百年の隠遁の中で私たちは徐々に人間性を失っていたんだ」「おそらくその変化こそが『真の不死者』ということなんだと思う」とニコラエを評する。死が無意味になった地平では、生の意味も変容するのである、

 その一方でタム・アーキィは鍛え抜かれた肉体をさらしてこんなセリフでニコラエを挑発する。
「自称に過ぎないが、私は人間最強だ。私も貴様同様、ヒトを超えた存在と思ってかわまん。負けても悔やむ必要はないぞ」。
 人間としての限界を超えようとする意志に満ち満ちたこのセリフ。タムもまた強くなれるのであれば人間でなくなることを厭わない種類の人間なのだ。これは本質的にニコラエと通じ合っている精神の持ち主なのだ。
 つまりここでは、人間であることよりも「強くあること」に意味を求める2人が対峙しているのである。

 だからこそローラがニコラエに言い放った啖呵が読者に刺さる。
「私には約束がある。知りたいことも山ほどある! 死ぬときは自分で決める! 人間として死ぬ!!」。ローラは不死者ではあるが、このセリフのなんと人間的なことか。

 果たしてローラは自分の「人間性」を守り抜いてラストシーンまで到達できるのか。そこが本作の一番の注目点といえる。

 
たどり着いた教会で襲われるローラ。


「人間として死ぬ‼」不死者であるローラが叫ぶ。

 <Profile>
藤津亮太
アニメ評論家。主な著書は『アニメ評論家宣言』(扶桑社)、『声優語』(一迅社)など。アニメなどのコラムを多数執筆。



























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